稽古の実践と「態度派」の試み
『嘘と幻の手順』の通し稽古および読み合わせ配信において、俳優と演出の間で交わされた具体的な議論・フィードバックを抽出・検証すると、当サイトで提唱されている「態度派の演劇論・身体論」が現場でどのように実践されているかの確認用。
1. フィラーと「記号」の境界 ――間(余白)を埋めるマニピュレーションの拒絶
稽古中、沈黙やセリフの間(白)における「フィラー(相槌や口癖)」の是非について、極めて本質的な演出指示が記録されている。
演出・稽古中の発言より(captions 2):
「フィラー使っていうのが……結果としてフィラーを出して、白(余白)を少し調整するみたいな感じになると、それはフィラーじゃなくて記号を出したっていうことになる。」
「喋ってる間のふっと止まった時に、その止まった理由をフィラーで説明するとまずい。」
「そこはフィラーじゃなくて、ちょっと息を吸ったり吐いたり……吸うだけでも多分だいぶ変わる。」
態度派理論との接続
この指導は、「記号を削ぎ落とすこと」の身体的受容について および 「フラット」に見えること、観客。 で述べられている「説明の放棄」と直接合致する。
- 説明的フィラー=感情・状況の記号化
セリフが途切れた際、「今、考えています」「困っています」という内的状態をフィラーで観客や相手役に伝達・了解させようとする行為は、日常的なマニピュレーション(操作)の手癖に過ぎない。 - 記号から呼吸(排気)への置換
沈黙の空間を意味で埋めるのではなく、呼吸器制御および音声排気 にあるように「吸気や呼気(摩擦音)の気配」として空間に置くことで、複雑なアンビバレントな内心を一つのわかりやすい記号に矮小化せず、そのまま身体に宿らせることが可能になる。
2. 「言葉で言おうとしない」――態度の選択
セリフの言い回しや抑揚で状況を打開しようとする演技の習慣に対し、「態度そのものをどうセットするか」を問い直すやり取りが繰り返された。
演出・稽古中の発言より(captions 3):
「手続き上のミスを少しワーッと言われたので、距離を保ちながらそこについて説明でもなく、この話を流そうとするみたいな感じの態度をどうやって取るのか。」
「今、むしろ言葉で何かを言おうとしていないか。『そのつもり』によって結局やらなきゃいけない態度というのは、練習済みですか? 態度、態度ですよ。」
態度派理論との接続
これは 態度派宣言(「台詞が意味を運ぶ規範を否定し、心の在り方そのものを演劇の唯一のテクストとする」「態度こそが演技の最小単位である」)および 機能的態度のフレームワーク の実践そのものである。
- 俳優は「台詞をどう言うか(感情表現・テンポ感)」という旧態依然としたタスクから離れ、「相手の肉体の兆しを察知し、空間のコード(自我状態と態度)をセットし直す」ことに集中する。
- 状況を言葉で解決しようとする焦り(マニピュレーション)を捨て、客観的な「構え(態度)」として留まることで、舞台上に日常の馴れ合いから逸脱した倫理的緊張が立ち上がる。
3. 「演劇の時間」の物理的計測
稽古ではストップウォッチを用いて各シーンや通しの時間を綿密に計測し、セリフのやり取りだけでなく「空間の時間」がどのように進行しているかが検証された。
演出・稽古中の発言より(captions 3):
「誰か時間を測っていただける……ストップウォッチ回しますよ。」
「言葉の今までと同じようなテンポ感でやるのではなく、何らか、お互いただ口走るというような状態で組み立ててみる。」
態度派理論との接続
モノローグから派生して、演劇の時間 で論じられているように、「セリフを発している人間しか時間が流れていないような演劇」では、台詞の合間が単なる「穴(空箱)」になってしまう。
『嘘と幻の手順』の上演台本では、劇中のサイバー攻撃自体が「時間のズレ(NTP/ケルベロスの5分・16分)」を主題としている。台詞の表層的なテンポではなく、役者同士の思考の速度と沈黙の密度によって「演劇の時間」を物理的に立ち上げる試みが、このタイム計測を伴う稽古によって具体化されている。